【IRON MAIDEN】私とメイデン2~スクリーム・フォー・ミー・トキオー!

高崎“エディ”計三のコラム・オブ・ザ・ビースト

第2回 私とメイデン2~スクリーム・フォー・ミー・トキオー!


「学校サボって広島でメイデン」で始まったメイデン・コラム。今回はメイデン・ファン歴振り返りの後編。一番の大ネタは前回出しちゃったし(汗)、思い出話をずーっとやっててもアレなので、今回は残り30年分を一気に駆け抜けます。


メイデン(とプロレス)を確実に見るためには東京に行くしかない!ということで、大学受験は関東周辺に限定。受験で上京したときは、たまたま日本武道館でピンク・フロイドやってて、たまたま当日券があるってことで見に行ったりしたけど、素晴らしかったけど、メイデンの話しとは関係ないので割愛(書いたけど)。


でまあ、無事東京の大学に行けることになったのが88年で、4月に上京して、その年に出たのが7作目「Seventh Son Of A Seventh Son」。世の中はすでにCD時代に突入していたが、どうしてもLPでほしくてレコード屋さんをいくつか(チャリで)巡り、文京区白山の小さい店で購入。その店はもうない。で、あとは来日公演を待つばかり! もう「福岡には来ないの!?」なんて思いもしなくていいぜ! と思ったら、何とそのツアーは来日自体ナシという! そんなことがあるのかとまたビックリ! ホントにこの頃は、世の中の(というか洋楽の)全てをメイデンに教えてもらった気がする。っつーか知らないことが多すぎたわけだが。

次の「No Prayer For The Dying」ツアーはNHKホールに、その次の「Fear Of The Dark」ツアーは代々木第一に、それぞれ見に行った。そうそう、これでこそ東京ですよ! しかし学生だったこともあり、それほど金もなく、友達と飲みに行ったりもしなければならず、輸入盤などの購入は以前ほどはできなくなっていた。

そんなところに飛び込んできたのが、「ブルース・ディッキンソン脱退」のニュースである。このニュースは衝撃を呼び、「後任は誰になるのか」で持ちきりだった。当時はベースボール・マガジン社の社員だったので、会社というか週刊プロレスの編集部で、ターザン山本編集長(当時)の奥さん(当時)と、「無理にブルースに似たタイプを探す必要はないんじゃないか。いっそポール・ディアノみたいなタイプに回帰してもいいのでは?」などと無責任な意見を交わしていたりしたのだった。


ベイリーさん加入後最初のアルバム「X Factor」、その次で最後となった「Virtual Eleven」についての感想は、大方のメイデン・ファンの皆さんとだいたい同じだと思う。だが先日、ある人に誉められたことがある。自分は今でもたまに「デビュー作から順番に全部聞く祭り」をやるし、時折聞きたくなることもあるので、たまーにこの2作も聞く。もちろん他のアルバムに比べて頻度はかなり低いんだが、誉められたというのは、「いまだに聞いててエラい。自分なんかこの2枚だけは全然聞かない」ということなのだ。いや、ベイリーさんの時もいいとこあるですよ。

ただ、ベイリーさんが加入して初の来日の時は、チケットを買っていたのに、当日の夜中0時前になって思い出すという大チョンボ。現在のツレと銭湯に向かう道で、急に「あっ!」と思い出してポケットのチケット(ライム)を出したら、数時間前に終わっていたという……。さらに「Virtual Eleven」のツアーの時は来日情報すらチェックできずにいて、結局、生ベイリーさんは目撃していない。ごめんよ、ベイリーさん……。


そんなこともあって、2000年にブルースが戻ってきたときに大喜びしたのは言うまでもない。しかもエイドリアン・スミスまで戻ってきて6人編成になって、言うことナシですよ! 「Brave New World」ツアーは東京国際フォーラムに見に行った。もう忘れません! ていうか楽しみにしてたからな。んで、次の「Dance Of Death」の来日ではさいたまスーパーアリーナへ。これが初めてツレと行ったメイデンのライブだったりする。

その次の「A Matter Of Life And Death」ツアーは武道館。まさかの新譜全曲再現で、チョー賛否両論を巻き起こしたこのライブ、当時は「うーむ、分かる、分かるが煮え切らないのも確か……」という印象だったが、今振り返ると、これが見られたのは非常に幸せだと思う。もう二度と演奏しないであろう曲もたくさん聞けたし、何より、ブルースさんの盛り上げや表現力が素晴らしかった。曲が進むにつれ観客の反応が今イチになっていったのを感じ取った(であろう)からこその煽り方にも感じられたが、実際はどうなのだろう?

実はこのときの来日ではひとつ余談がある。自分は直前までラスベガスに格闘技大会の「PRIDE」を取材に行っていたのだが、ロスからの飛行機を降りてゲートを出たら、同じ出口からメイデンのメンバーたちが荷物を押しながら出てきたのだ! え、もしかして同じ便だった? 初めて至近距離でメンバーと遭遇したわけだが、こちらも海外出張帰り、当然何もできるわけがない。長旅でお疲れだろうしという気持ちもあり、ただ眺めていたのだった……。


この頃になるとだんだん来日の間隔が空いてくるが、「Somewhere Back In Time Tour」では幕張メッセで燃え尽き、「Final Frontier」のツアーはチケットを押さえた……ら、震災でまさかの中止。情報がなく、前日の夜中まで「どうなるんだろう? 一応、会場には行った方がいいのか?」とやきもきしていたが、「さいたまスーパーアリーナが避難所になっている」という情報を得て、ようやく諦めた。

ここまで読んできて気づかれたかもだが、自分は「超熱狂的」でもなければ「とんでもないマニア」でもない、わりと一般的なメイデン・ファン(だと思っている)なのだが、年を経るにつれて熱中度が増しているのは確かで、2016年の「Book Of Souls」ツアーは両国国技館に両日参戦。さらに彼らの専用ジャンボジェット「Ed Force One」の着陸を見に羽田空港まで出かけたり(ごくごく小さくしか見えなかったが)、高円寺の「メタルめし」さんでステッカーを配っているというので急きょ出かけたりと、その週は全く仕事にならず(笑)。まあフリー稼業だから可能なことでもあるので、その特権を精一杯使わせてもらった。

ライブ関連で最後の話題は昨年11月、スティーブ・ハリスさんのソロバンド「British Lion」2連戦。来日が発表されて当然のように最速先行でチケットを取ったら、整理番号が初日37番、そして2日目は何と5番! 5番って何すか5番って! しかもその日行ってみたら、開場前には2~4番の人が来ておらず、実質2番! 当然最前列! さらにスティーブさんの真ん前! ライブ終了後にはグータッチまでできて、至福の時間を過ごした。客入りが悪かった? 前しか見てなかったので知りません!

んなわけで今日に至っているわけだが、正直、自分よりマニアという人はいっぱいいるだろう。世界の有名人、Yu Shimada氏をはじめとして、もっともっとすごい経験をしている人、もっと貴重なお宝をたくさん持っている人は本当にたくさんいる。ただ、中学生の時に初めて「Killers」を聞いてから約35年、ずーっと好きであったことは確かで、逆にこんなに長い間応援し続けられていること自体が幸せだ。そして、まだしばらくは(そこまで長くはないのだろうが)彼らの活動を楽しむことができることも。


なのでせっかくできたこのマガジン、このコラムで、その幸せを噛み締めつつ、またいろんな人ともその幸せを分かち合えるようにしていきたいんで、よろしくお願いします!


あ、最後にジャスティス会議でもらっていた宿題。自分の一番好きなメイデンのアルバムは「Seventh Son Of A Seventh Son」で、一番好きな曲は「Aces High」。もう、理由なんてない!ぐらいの勢いなのだが、アルバムは全体のまとまりのよさかなあ。プログレッシブ・ロック(プログレ・メタルではない)っぽい要素が一番感じられる作品でもあり、なおかつ「The Evil That Men Do」を筆頭に名曲揃いという点。「Aces High」の方は、イントロが恒例の2段変速しつつどんどん高まっていく高揚感、全体を貫く疾走感、それからそれから……うーん、全部!(笑)というぐらいの曲だからとしか言いようがありません! ぜひ皆さんのメイデン・フェイバリットも聞かせてください! ということでまた次回!

TEXT by Keizo "Eddie" Takasaki, Chief Editor / 高崎”エディ”計三編集長

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